コスチュームジュエリーを語る上で欠かせないのがヨーロッパのクチュールメゾンだ。
シャネル・ディオール・スキャパレリといえば、いわずと知れたパリのオートクチュール全盛期に活躍したクチュリエたちである。
彼らはフランス語でいうビジュウファンテジー、コスチュームジュエリーの先駆けともなった。
特にシャネルのジュエリーは宝石を使った伝統的なデザインを脱却した斬新なもので、彼女自身がデザインした活動的な洋服のシンプルなラインや色を引き立たせた。
そんな彼女の作品は戦争や窮乏生活に揺れたヨーロッパや、アメリカの自由を求める革新的な女性たちに圧倒的な支持を得ることになる。
1930年代、直接の戦禍に巻き込まれることのなかったアメリカへ多くのヨーロッパ人が渡り、コスチュームジュエリーの舞台がヨーロッパからアメリカへ移動していった。
ヨーロッパのクチュールメゾンの作り出したコスチュームジュエリーは、アメリカに渡って初めて評価されたといっていい。
なぜならヨーロッパではブルジョワ階級(貴族)の価値観として、模造宝石は所詮代用品という概念が根強かったのだ。
一方、クラスや歴史のないアメリカでは素材がどうあれ、わかりやすい華やかさが歓迎された。
そしてその広告塔となったのがハリウッドで活躍する女優たちだった。
スクリーンで映えるコスチュームジュエリーは映画産業によって願ったり叶ったりのアイテムで、それを見たアメリカ全土の女性たちに宣伝することになった。
ヨーロッパの製品だけでなく、シャネルに影響を受けたミリアム・ハスケルなど、自然と自国の製品メーカーが育っていった。
当ホームページでもおなじみのトリファリも量産品として登場した。
コスチュームジュエリーはハリウッド女優から庶民へ、アメリカ全土へと広まったのである。